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自己を保とうとし、日々生きることをサバイバルと呼んではいけないのか

 ややうんざりして梅田氏が書いている。

My Life Between Silicon Valley and Japan – サバイバルという言葉が嫌いなら使わないで話そうか

自己を保とうとしながら、日々生きることをサバイバルと呼ぶのがなぜいけないんだろうか。

自己を保つとは個人におけるそのアイデンティティ(立ち位置)を確保することであり、現状持っている比較優位を最低限維持し、できうればその優位を広げていくことだ。そしてそのために何が必要か考え、実践していかなければならない。何もしなければ自分の持つ比較優位など、簡単に消滅してしまう。自分の頭でで考え、自分の足で世の中に立つことをサバイバルと呼ばずに、なんと呼ぶのか。それとも、私の立っている世の中が、あなたたちの世の中とは違うんだろうか。それとも自分の頭で考えもせず、よくわからないものに乗っていれば、約束の地へ誰かに運んでもらえるほどこの世の中は優しいのか。僕はそうは思わない。僕は、自分の頭で考え、自分の足で立つこと以外に自分を生き残らせる方法を知らない。

コメント

  1. 工藤@静岡 より:

    >それとも、私の立っている世の中が、あなたたちの世の中とは違うんだろうか。
    同じ物を見てるんだけど、それがそれぞれの脳の中に入った後に違う世界になってしまうんだろうね。
    そういう意味では本当に違う世界に生きているんだと思う。
    気付かない(自ら気付こうとしない)人達は、下手すると10数年後には、まずは職業安定所で、次に上野公園とかで違うサバイバルを経験する事になるんじゃないかなぁ?(社会道徳的にそれで良いのか?は別にして)
    そういう自分も他人の心配してるほどの余裕は全く無いんですが。。。

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