赤城氏の論座での論文にたする有識者たちの反応への赤城氏の反論。
ぞっとしたのは、現在赤城氏の立場での現状の認識を読んで思ったのが、西洋による植民地統治の方法だ。西洋人は植民地統治を行う場合に原住民の反感を直接買わないよう、直接表にたって支配することを選ばず、現地人の部族対立(これは社会的、経済的格差を伴っている場合が多い)で有利な方や、既存の支配階層を利用し、それらを執政官として現地統治を行っていた。クッションを挟んだわけである。
赤城氏がこの論文の中で言う「安定労働層」とは我々であり、赤城にしてみれば我々は植民地支配における執政官なのだ。なるほど我々はこの自国の中で植民地政策を実行している。その事実をこの論文に思いあたらさられて、私はぞっとしたのだ。
赤城氏にとって身近な敵は我々であり、不満をもたらすのは我々の意図した赤城氏への無関心であり、我々が自分の便宜のために権利を主張することなのだ。
そのような状況で我々と赤城氏とが、50年代的、或いは全共闘的な左翼思想に基づいた、巨悪へ反抗のための連帯などあるはずがないのだ。福島氏や佐高氏とは永久に議論がかみ合うこともないだろう。(全共闘だって、大学に行けるお坊ちゃまのお遊びだったのだ。(そういう風に言う人もいる))
しかしなんだろう、この自分の心を爪を立てて引っかかれたような感覚は。
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