ビル・ゲイツが引退して、レイ・オジーがマイクロソフトの技術の最高責任者になる。そのことの意味をいくつかのサイトを眺めながら考えてみた。
ビル・ゲイツは計算機が個人の能力増強をもたらすことに早い時期に気付いた数少ない人間の一人であって、マイクロソフトという会社は今までそれを具現化していた。PCやその上で動くOS、アプリケーションソフトウェアは個人の知覚的能力の向上をひたすら目指してきた。一方、インターネットへの出遅れに象徴されるようにコミュニケーションという分野については大きく注意を払ってこなかったように思うし、ネットに関しても、それが個人能力の強化に結びつくという視点での利用であり、投資の増加であったと思う。
レイ・オジーはNotesの設計者であり、その技術者としてキャリアのほとんどをネットワーク上のコラボレーションに捧げてきた人である。レイ・オジーの計算機、およびネットに対する理解はは、集団内のコミュニケーションのツールであり、知識を集合知としてまとめていくための「場」であり、個人ではなく、集団の能力、生産を高めるためのものである。
そして、現状を鑑みるに、ネットや通信技術の発達によって、人々の「コミュニケーション」への渇望が増大してきており、計算機・PCは個人の能力増強の「機械」ではなく、コミュニケーションのための「ツール」に変貌してきている。ビル・ゲイツはかなり前にこのことに気付いていた節があり、自分の後継者としてレイ・オジーのMSへ招請(実際には会社の買収)はそこに要因があるように思う。
つまりビル・ゲイツとレイ・オジーは計算機やネットに対する基本的な認識が異なっていると考えられ、ビル・ゲイツはレイ・オジーの考え方の方が自分の考えより、これからの時代に適合していると考え、彼への交代の準備を進めるとともに、それがスムーズに行くよう、ここ数年来MSが発表した新しい製品や、製品のバージョンアップ内容はその視点の違いを多少なりとも反映しているし、今後登場する各製品は、その違いをより明確に表したものになる。個人能力の強化から、より明確に人の連携をテーマとした技術と製品がマイクロソフトから提供されるようになるのだ。
まとめると、ビル・ゲイツとレイ・オジーの交代というのは、PCが持つ役割が交代することの象徴であり、マイクロソフトという会社の形が根本的に変わる要因になるかもしれない。ビル・ゲイツが象徴するPCの終焉とも言えるし、PCが新たな段階に昇華したとも言える。それがマイクロソフトにとって、我々にとってバラ色かどうかはまだわからない
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マイクロソフトの今後の動向
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