報道の受け手が留意すべき「批判の良心」についての私考 – ものがたり
でこのもとねた
情報の真贋は自分で考える
「マスゴミ」という人間ほど逆説的にマスコミ依存で有る傾向が強い気がして仕方がないのだが、これは欧州に比べて体系的にメディアリテラシの教育を受けていない日本人の送り手側も受け手側も不幸があるような気がする。
マスコミというか、メディアは所詮道具なので、そこに書かれた、映し出された内容のどこに真実があるのかは自分で判断し、あとは消費してしまえば良いだけのことだ。
そこで何が真実なのか、自分にとって必要な情報なのかを知るために絶対的に必要なのは、まずはすべての情報に送り手の意図した選択や脚色がある前提でその情報を受け取り、何がフィルタリングされ、ねじ曲げられているかを自分の頭で考えること、そして、それを考えるための教養を身につけることでしかない。
送り手が間違った情報や自分たちが意図する情報を垂れ流すのことは当たり前なんだ。また、それであるが故に情報の入手先を複数にしてその違いを確認していくことも大事だ。
従ってこのBlogも含めてすべてのメディアは消費し、自分にとっての真実をすくい上げればいい。
撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ
批判についてはこのルルーシュ・ブリタニアの言葉に集約されている。
人を批判する以上その批判に対して自分が批判される覚悟が無くてはいけない。自分にその正義がありと思うのであれば、その覚悟を示せ。覚悟とは撃たれるように自らをさらけ出すことだ。
したがって、批判は論理的でなければならないし、善意でなくてはならない。そうでなければ、醜い方法で自分が撃たれるだけだ。
追記:
まちがえてるし。撃たれるな。。
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