ユーザー視点での簡潔性を保つこと

僕はAppleのiLifeシリーズのソフトウェアをけっこう指示しているが、それはバージョンアップを重ねていきながらも、ユーザーの視点で、操作の簡潔性を常に維持してきているからだ。悪い例が、Microsoft Officeであり、度重なる無秩序な機能追加によって簡潔性が損なわれた結果、大規模なUIの変更を余儀なくされてしまっている。

パッケージソフトウェアの場合には、バージョンアップがただのバグフィックスではなく、代金を払うべき物であることを証明するために機能追加が必須といえるが、これはよほど上手くやらないとユーザー視点での簡潔性が失われて、ユーザビリティが極端に悪くなっていってしまう。そのため、せっかく行った機能追加がユーザーにかえって弊害と見なされて、誰もバージョンアップに金を払おうとはし無くなってしまう。しかしながら、この場合ユーザーがバージョンアップをしない原因が機能が足りないと言うことに大抵の場合されてしまい、マーケティングの人間はさらなる機能追加を開発に訴え、この悪循環がどんどんと逆に加速されてしまう。

ユーザー視点での簡潔性を維持するには、まず最初に優れたデザインコンセプトを作り、代々のプログラムマネージャ、あるいはソフトウェアアーキテクトがそれを常に念頭に置いて、バージョンアップの計画、機能追加の追加方法を考えていくことでしか維持できないのではないかと思う。これは、簡単なことではなく、まず開発プロセスが高度なレベルで維持されていなくてはならず、且つデザインコンセプトや過去の開発に関する様々な情報が共有化され、継承されていく文化も必要だ。個々のソフトウェアアーキテクトやプログラムマネージャの力量が高いだけでなく、開発をマーケティングや営業からの横やりを防ぐマネージメントの力量も必要になる。

今Apple ComputerのiLifeが上手くいっているのは、単に開発規模が小さく、その出荷数も少ないという偶然のたまものかもしれないが、開発者である自分の視点、あるいはマーケティング会社が集めたアンケート結果のグラフからの視点ではなく、実際にそれを使用するユーザーの視点で何が優れているか、何を追加するべきか、そして何を追加するべきでないかを考える文化が、Apple Computerにはあると思う。そのボタンの追加は必要なのか、その設定ダイアログは必要なのか、一つ一つ丁寧に検証されているはずなのだ。

仮に僕らの勤めている職場や、OSSのコミュニティにその文化がなかったとしても、開発者一人一人ユーザーに喜んでもらうためにユーザー操作の簡潔性を維持するように努力できるはずだ。今追加しようとしている、設定ダイアログ、そのボタンをコード数十行、二百行追加することで、削減できないか考えてみようじゃないか。

なんかのスライドにWPFがあるいはAjaxがユーザーエクスペリエンスを向上させると書いてあっても、そのようなUI技術が自動的にユーザー操作の簡潔性を実現させるわけではない。それを実現させるには僕らが考えを改め努力することが必要なんだ。

考えの元:
選択肢 = 頭痛 – The Joel on Software Translation Project

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