書評:富の未来

上巻では富のあり方、特に金銭的価値を持たない富についてふれており、その富の中心である生産消費者、それによる生産消費活動に焦点を当てている。生産消費活動は、家事、子育て、地域ボラティア活動、友人を招待しての食事、趣味による木工品の制作といった表の経済指標には現れてこない、生産活動のことを著者がそのように名付けている。
一般的は経済的価値がないこととされている生産消費者の生産消費活動が経済活動に対して大きく影響されている点、富の中心が経済・金銭的な価値地による富から、そうではない富に移動していることが著者の今までの著作での論点をベースに書かれている。
下巻では、地理的な富の中心が16世紀のアジア地域からルネサンス、産業革命を経て欧州に移り、WW I後戦争の影響が少なかった米国へ、そして今中国とインド、ASEAN地域の経済発展により再びアジアに戻ってきていることを記しており、また、知識へのパワーシフトによって富自信が国家や地域とは関係なしグローバル化している事実を取り上げている。それによるかつての富の中心であった欧州、米国の問題、ボーダーラインに位置している日本の問題、そして今急激な機材発展の途上にある、中国、インドの問題点、グローバリズムと実際にはそれに支えられている反グローバリズムの問題を取り上げている。
上下巻を通して、筆者が訴えていることは、従来からの著者の主張である知識を中心、基本とした変革が行われていく中で、富が意味するもの、富のある場所が革命的に変化している点を示している。
私が印象的だったのは上巻を通して書かれている、「生産消費者」による経済指標には表されない生産活動が持つ潜在的な価値やそれによって生み出される富についてである。いかにそれが大きく、いかに重要であるかは、この本の中でも書かれているが、家庭が担ってきた「生産消費活動」の最たるものである「子育て」がどれほど重要で、どれだけ将来的な経済活動を左右するかを考えれば、「生産消費活動」の重さを理解できると思う。
富の意味するもの、富の中心が「第三の波」の世界では変貌してきている。

追記: (2006.07.02 10:23)

読み返してみて、大事な部分が抜けて落ちたと思ったので追記。
最後に著書は富自体の価値の相対化について書いている。相対化とは産業革命後の世界における接待的な価値は「富」であったが、これが文化、宗教、論理といったものと相対化していく点について、この本を締めくくっている。
私が思うに、それによってそれぞれが個別の価値観(上に上げたものが持つ価値のバランス)の違いによって、この世界はより不安定、より不確実になっている。決して明るい未来とは思えないけど、それが今の世界なんだろう。

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