書評 世界は分けてもかわらない

カエサルは人は見たいものしか見ないといったが、本書のテーマもこのことである。
どのような熟練した研究者でも見たいものだけを見てしまうという事実。
本書の「分けても」は見たいもの見るために我々が行う分類や分割が著者の動的平衡の考え方を元にいかに危うくいかに意味のないことかを訴えているように思う。
しかしながら、突然追加されたような最後の1ページで著者自身が「見たいものを見る」という誘惑に駆られているように思えるのだけど。

<以上ブクログから>

もう少しシステムよりで話を追加したい。

著者の動的平衡の考え方から、高度の発達した分散システムにおいて、設計の分割や実装の分割と分割の結合は上手くいくのか、著者が本書ES細胞の中で述べているように環境に適応ながら小システム(クラスでもコンポーネントでもサービスでもいい)が周囲環境に適応していく形で増殖、変態を繰り返すのが正しいのか。ソフトウェアアーキテクトがすべてを予測し、記述することは可能なのか。それともそれはラッカーとスペクターのような傲慢なのか。RUP的に設計を積み上げることでシステムの俯瞰を拡大し実装を進化させるのか、実装を積み上げることでシステムの俯瞰を拡大するのか。

ソフトウェアシステムの開発においても著者の動的平衡的な視点の取り入れが必要なのかもしれない。

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