「サービス」という言葉のオーバーロードぷりについて – 栗原潔のテクノロジー時評Ver2 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
リンク先にもあるように「サービス」と言う言葉はそれを話す・聞く人の立場によってその意味が大きく異なってしまう。
このような例はここそこにいっぱいあるし、一つのシステム開発プロジェクトの現場でも、ステークスホルダ間で「言葉」の定義が異なってしまっていたため、ユーザーやあるステークスホルダーにとって十分な満足が得られなかったり、ユーザーが望んでいたものとは全く違い作り直しが発生したりする。このため、僕らはSRSなどに用語集を付け、せめてプロジェクトのステークスホルダ間では「言葉」の統一を図ろうとしたりする。
このように何気なく使っている言葉も実際には様々な意味を持つ場合があって、これはソフトウェアシステムのユーザーインターフェイスにも影響する。フォーム上に置かれたボタンのラベル文字から持つ印象というのはユーザー毎実に様々で、時として設計者とは全く別の意味としてユーザーがとらえていることもある。
普段何気なくボタンのラベル名称を決めていることがあるかもしれないけど、実際にはシステムのユーザーインターフェイス上に存在する言葉の持つイメージはアイコンのグラフィック以上の影響力を持つので、十分注意して考えた方が良い。これはボタンだけでなくメニューの名称も同じだ。
開発者自身のイメージから付けた言葉ではなく、ユーザーが普段業務で使用する言葉をユーザーインターフェイスに使っていくなどの工夫が必要だ。
また、判断が難しいときにはMS Officeのような大きなシェアを持つソフトウェアから言葉を借りてしまうの手だ。こうすることでユーザーがある程度その機能を想像してくれると、ぼくらは期待できる。
とにかく、ユーザーと言葉を合わせることがまずは大事だ。そして同じ言葉を使ってユーザーインターフェイスを設計しよう。
コメント
確かに。
某横浜の仕事では、実行か適用かOKかなんてことで、喧々諤々3日くらい揉めたりしたなぁ。>遠い目
今は、プログラマに「そんなことどうだっていいぢゃん!!」
って半ば逆切れ気味に言われたりして、鬱。
SEとプログラマの間には深くて暗い谷があるのか?