2014年、オブジェクト指向vs関数型プログラミングの壮絶な宗教戦争は終結 OO陣営最後の牙城DOMというWeb標準のUIを破壊した巨砲Facebook-React – Qiita.
内容はどうでもいいや。
こう言うの読むたびにですね、最近こう思うのです。
実際的な問題として、「オブジェクト指向」、特に今のオブジェクト指向は複数のパラダイムを包含した「何か」の総称であって、単一のパラダイムではないので、そう簡単に倒せないし、神学的にもあらゆる伝統宗教を包含していったヒンディーみたいな物で、中東一神教的世界観に存在しなません。従って、倒したといわれても、どの学派をを倒したつもりなの?みたいな感じです。「オブジェクト指向プログラミング」に限定したところでも、Simula/C++的スコープ拡張としてのクラス、継承主義的学派とsmalltalk/obj-c的なオブジェクトとメッセージパッシング学派派という二台中心原理に分かれ、現在はそれらの集合やら、インターフェイス・コンポーネント分派、サービス指向分派などいろいろ分派にも分かれていて、「これこそオブジェクト指向だ!」というのはただの分派活動や原理主義活動だったりするのです。僕が見てきた20年間でさえ、常に周辺的な原理を包含し、その勢力を拡大してきたのがオブジェクト指向です。今や関数型言語的なパラダイムですらオブジェクト指向に包含されてきたようにさえ見えます。
オブジェクト指向は、仏教とかキリスト教に当たるような言葉で、大きな集合に対する名称であり、実際の教義や思想はそれぞれの学派・分派を見てみないとわかりません。
そういうことで、誰かが「オブジェクト指向」の議論を始めたときは、あるいは「オブジェクト指向」を倒したいなら先ずスカルさんばりに
「オレのオブジェクト指向は数えた。」
「お前のオブジェクト指向を数えろ!」
とでも言って相手の学派を確認してみると良いと思います。そうで無いと永遠に議論がかみ合わないですよ。
ま、どっちにしろDOMでオブジェクト指向の話をするのは筋が悪過ぎると思います。そもそもDOMの仕様が酷い。
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