ニコラス・G・カー,Nicholas Carr
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カーによるこれからの情報産業の行方に関する本。
本の前半第1部では彼がユーティリティーコンピューティングと呼ぶ、もう少し一般ではクラウドコンピューティングというものを説明するために、比較という意味で、電力業界の成り立ちとその産業の構造について説明し、ソフトウェア産業と言うより情報産業が電力業界と同じように「規模の経済」が効き、それにより集約化が行われる世界、ユーティリティコンピューティングのビジネスモデルとその利点について説明する。
本の後半第2部では、一転ユーティリティコンピューティングがもたらすダークサイドのついて説明している。
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ユーティリティコンピューティングの多くのサービスは、ユーザーの労働力を搾取することで成り立っている。(筆者注ティム・オライリーはそれをWeb 2.0と言ったわけだ)
またそれらが、「ただ」の労働力を使用することで、有料のプロフェッショナルの仕事が脅かされている。(企業がボランティア労働を集約化して経済的利益を上げている現状は、ユートピアとほど遠いと言わざる得ない。(本文より引用)) -
情報化により貧富の差の拡大とその固定化、特に中産階級がそれにより崩壊したこと。(ワールドワイドコンピュータは多くの人々の労働の経済的な価値を獲得して、それを少数の人々の手に集約するための極めて効率的なメカニズムを提供しているのである。(本文より引用))
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情報産業の産業構造が変わることにより基盤を失う産業がある。たとえば「PC次代を担った偉大なソフトウェアプログラマの時代は終わり」(本文引用)
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情報がばら売りされる。(アルバムは曲単位で販売され、新聞は検索サイト経由で記事単位で消費される)それにより、広く浅い情報にはアクセスできるが、調査報道のような深みのある情報に対してアクセスし続けられるだろうか。(調査報道はお金と時間がかかるが、それがユーティリティコンピューティングのビジネスに合っていない)
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情報化によりプライバシーが実質存在しないこと。
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ネットですべてが繋がっているのに、コミュニティ移動のリスクとコストがきわめて低いために、コミュニティが実社会よりより小さく先鋭的に集団化してしまっていること。これはコミュニティ間の対立を生み、その対立を簡単に増大させるので危険であること。
こういった負の面についても丁寧に説明している。第2部を強調したのは、クラウドコンピューティングのバラ色の未来を言う記事が多い中、負の面についてちゃんと取り上げる評論が少ないためです。
さて、1部・2部を踏まえて今の日本の状況はどうでしょうか。電力業界の集約化は、それでも種々の物理制限や国策という名の社会コンセンサスにによって国内においても9電力体制というところに収まり国境は越えていません。きわめてドメスティックです。
しかし、ユーティリティコンピューティングにはそう言った物理制限やドメスティックな枠が有ったり、適応されたりするのでしょうか。ユーティリティコンピューティングによる集約化と寡占化は目立った物理的な制約もないし、元々インターネット自身がドメスティックな枠にとらわれていないので、容易に国境を越え集約化と寡占化を進んでいくでしょう。
そしてその競争はすでに始まっていると思いますが、我が国はその戦線に参加すらできていない状況にあるように思います。カーの言う情報産業の構造変化に伴う痛みを受けるのは、アメリカのソフトウェアプログラマの前に我々が受けることになりそうです。
ほそく:
私の書評などよりyomoyomoさんの書評の方がために(ry
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