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日本に限ったことではありませんが、現代世界の政治的指導者の多くは、あるべき国家についての明確なビジョンを持っていません。興味がないのです。彼らに興味があるのは自己の政権の維持です。そのためには何でもします。だから保守だとか左翼だとか、イデオロギー的な装いは全部ダミーであって、そのレベルでいくら攻撃しても彼らは無傷です。理念を持たないのですからね。彼らは「悪人」ですらありません。国民を貧困に陥れようとか、文化を思うままに支配しようとか思っていない。そんなこと、どうでもいいのですね。彼らの政策を説明するためにしばしば参照される「新自由主義」という言葉は、「主義」とあるからまるで一つの政治理念のように聞こえますが、実は「理念の徹底的排除」という意味なんです。理念が消滅した後に残るのは、目的合理的な行動の最適化だけです。
情報源: 日本学術会議のこと – tanukinohirune
存在の耐えられない軽さ。日米ともあまり変わらない。欧州、特に北欧と仏独はなんとか踏ん張っているように思う。
結局菅義偉という人は、手段であるべきことが目的化した人、政治家や権力者になることが目的で、政治家になることが政治的目標の実現手段である事すら理解しない空っぽな存在であるって事。だから何も説明できない。
— Tadahiro Ishisaka🖖 (@ishisaka) October 5, 2020
政治家の中身が空っぽなので、日本会議のような中身を埋めてくれた気にさせてくれる存在が中身が空っぽな政治家にはありがたく、つけいる隙が沢山あるし、官僚や財界としても軽いから神輿として担ぐの楽。外国勢力にとっても同様。単純に権力欲を満たしてやればいい。
— Tadahiro Ishisaka🖖 (@ishisaka) October 5, 2020